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He Inoa No Kīnaʻu

chant

 

Kīnaʻu ē, noho nani mai

Kō kino ē, kiʻi milimili

Kō maka ē, nōweo wale

Kō papālina, e kukū ana

Kō ihu ē, e hanu onaona

Kō waha ē, e māpu ana

Kō poʻohiwi, kau mai i luna

Kō lima ē, ani peʻahi

Kō poli ē, nahenahe wale

Kō ʻōpū, pahu wai lana

Kō kuli ē, nuku moi ʻoe

Kō wāwae, kiʻi palanehe

Haʻina ʻia mai ana ka puana

Kīnaʻu ē, noho nani mai

He inoa no Kīnaʻu

ヘ・イノア・ノ・キーナウ

対訳:神保 滋

 

 

<解説>

歌詞は「Nā Mele o Hawaiʻi Nei 〜 101 Hawaiian songs」から。同著によると、これはカメハメハ大王と王妃カラークアの娘であるElizabeth Kīnaʻuのためのチャントではなくて、彼女の名前を受け継いだRuth KeʻelikōlaniとWilliam Pitt Leleiōhokuのひとり息子John William Pitt Kīnaʻuのチャントであるという。

 

歌詞を見ると、リリウオカラニ女王のチャント「Liliʻu Ē」にそっくりであることに気づく。その理由が「Nā Mele o Hawaiʻi Nei」に載っていて、これがとても興味深い。それによると、クムフラのAntone Kaoʻoは、リリウオカラニのフラを宮殿で突然踊るように命じられた。困ったカオオは、キーナウのチャントのキーナウの部分をリリウに入れ替えて、その場しのぎで演じたのが始まりだという。カオオは元のチャントをうろおぼえだったので、リリウ・エーは一部歌詞が異なり短いというわけだ。オリジナルはこちらであった。

 

調べたら、ジョン・キーナウは1842年生まれ、リリウは1838年生まれ。キーナウが年下なのが逸話に少し不自然さを感じる。チャントからわかるとおり、内容が幼少のときを詠っているからだ。仮に本当だとしても、替え歌であることは宮殿でバレバレだったと思うのだが…。ご存じの通り、後の世はリリウ・エーのほうがポピュラーになった。なお、母のルースよりも早くジョン・キーナウは1859年に16歳で亡くなった。

 

「Nā Mele o Hawaiʻi Nei 〜 101 Hawaiian songs」の日本語版が「101曲のハワイアンソング」のタイトルで出版されている。

 

 

 

 

 

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